佐渡島にハワイアンカフェが誕生!メレパレカイコでヘルシーランチ

佐渡島の虫崎に美味しいヘルシーランチが頂ける、ハワイアンカフェができました!早速着物仲間とでかけてきましたよ。今回は着物で出かける佐渡島、虫崎のハワイアンカフェ、メレパレカイコを紹介します。

メレパレカイコURL

1.古民家カフェメレパレカイコはこんなとこ

メレパレカイコは佐渡汽船両津ターミナルから車で30分、虫崎トンネルを抜けた先にあります。駐車場はトンネルを出たらすぐの場所にあるので、ご記憶ください。トンネルを抜けて100メートルも進むとお店に到着なのですが、トンネル側の駐車場を見落としてしまうとお店近くに車を置けないので、注意が必要です。メレパレカイコ行くには

「トンネル出たらP!」と覚えてくださいね。

2.メレパレカイコでヘルシーランチ

車を置いて右手に海を眺めながら国道を進みます。メレパレカイコの看板が見えたら、階段を上がっていきましょう。ちょっときついかもしれませんが、階段の途中でみずみずしく育つお野菜を眺めるのもまた楽しいのです。大きなざるに肉厚な梅の実がたくさん干してありました。この時点でもう美味しい予感がします。

 

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店内はとてもきれいな古民家で、入り口にはなんとウェディングドレスが!ディスプレイされていました。和風な古民家に美しいドレスが光を放っているようです。メレパレカイコのオーナーはウェディングプランナーのお仕事もされています。佐渡で結婚式を挙げるカップルが少なくなっているので嬉しく思います。島で挙式したい人は相談してみるとよいでしょう。高い天井は十分な開放感、大きな窓から真っ青な海が臨めました。店内は古民具が置かれ、おばあちゃんの家に来たような懐かしさを感じます。豪華な佐渡箪笥もありました。

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今回メレパレカイコにおじゃましたメンバーは、下は20代から上は○○代、年齢的に食の細い人もいました。ランチメニューをお願いする前にしそジュースを頂きます。赤ワインみたいにきれいなお色。ランチタイムは夏メニューでした。定食に冷たいおでん、お腹が冷えすぎない冷やし中華、、、?
筆者は冷やし中華大好きなんですが、極度の冷え症で食べたあとにはいつも腹痛が待っているのです。でも冷やし中華食べたい、、、
具材にきゅうりなどお腹を冷やす食材がないので、おいしくてお腹に優しく食べられました。どのメニューもしっかりと頂いたのに、苦しい飽満感がないんです。お腹いっぱいなのにがくちくない!なんとも不思議なメレパレマジックです。
メレパレカイコのメニューは地元の食材を使い、伝統的な味付けをアレンジして作られています。体に優しい食材だけを使っているので、消化がよく年配の人でもぺろりと美味しく食べられます。20代の食べ盛りでも十分な満足感がありました。こってりソースで着物を汚す心配もありません。また行きたい!と思わせる素敵なお店でした。

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3.虫崎ってこんなとこ

メレパレカイコが営業している集落、虫崎は戸数少ない静かな漁村です。かつては小学校の分校が置かれていましたが、現在は廃校となっています。メレパレカイコでコーヒーを飲んでいると、分校の卒業生という方々が楽しそうに昔を懐かしんで語らっておられました。
実は虫崎集落は限界集落と呼ばれています。佐渡に移住して数十年経ちますが、自分も訪れたことはありませんでした。
そんな虫崎集落を元気にしよう!と活動している人たちがいます。
コロナ禍の影響で現在は休止されていますが、虫崎を人でいっぱいにしようと、100人盆踊りが開催されているのです。移住者を中心に声かけされ、趣旨に賛同した人が全国から集まっています。

 

 

3.二つ亀海岸へのドライブコースに

メレパレカイコを二つ亀海水浴場までの休憩地点、お食事所として提案します。二つ亀海水浴場とは「日本の海水浴場100選」に選ばれた佐渡島が世界に誇るナンバーワンビーチです。二つの大きな岩がつながったような形状で、佐渡屈指の透明度を誇ります。砂浜なのでお子様連れにも人気のあるビーチです。
佐渡汽船両津港ターミナルから、二つ亀海水浴場を目指してドライブする人がよくみられますが、はっきりいって何にもない、海はきれいだけど単調な道のりでした。両津港から1時間、ただひたすらに海岸線を走り続けるコースです。今後は途中で虫崎集落に立ち寄り、メレパレカイコでヘルシーランチを頂いてから、残りの行程に消化できるようになりますね。

メレパレカイコ、二つ亀海水浴場に行き着くまでの休憩地点としておすすめします。

旅館の浴衣をかわいく着る方法

日本の旅館や温泉宿にはほとんどと言ってよいほど浴衣が置いてあります。シーツや枕カバーと一緒に設置してあり、他のアメニティグッズと同様自由に使うことができます。しかしこの温泉浴衣、ちょっと着づらくありませんか?温泉宿の浴衣、嫌いなポイントを叫び、かわいく楽しく着る方法、解説します。

1.旅館の浴衣、ここが嫌い!

   1-1.サイズが無い!!

 1-2.デザインがかっこ悪い!!

 1-3.冷える!!

 1-4.はだける!!

2.旅館の浴衣をかわいく着る方法

  2-1.帯、小物を持参する

2-2.おはしょりをしっかり作る

  2-3.丈は短過ぎないように

まとめ

1. 旅館の浴衣、ここが嫌い!

旅館に着いてお部屋に入ると、真っ先に誰でもゆっくりのんびりしたいものです。クローゼットを覗けばほぼ100%の割合で浴衣が置いてあるのですが、はっきり言って温泉宿の浴衣は不便です。パジャマを持たずに旅行に来られるのは良いけれど、サイズが合わなくてはだけまくり、朝になると帯だけになってるってことありませんか?ガバガバの浴衣を備え付けの帯一本で着付けるので、すぐに着崩れて落ち武者状態。宴会に同席する親父どもにサービスするための浴衣なんじゃねーの?と思うほどです。
高級旅館であればサイズが豊富にあり、フロントに一声かけて自分の体に合った浴衣を出してくれますが、全ての旅行でそのようにはいきません。着付け教室アシスタントゆうが声を大にして叫ぶ、温泉宿の浴衣、ここが嫌い!なポイント3つです。

1-1.サイズが無い!!

私の身長はぶっちゃけ149センチしかありません。これ以上の増は無いし、今後減にならないよう祈るばかりです。温泉宿の浴衣はほぼフリーサイズ、ざっとS/M/Lが置いてあります。Sを選べば小さいし、Mを選べばデカ過ぎること、この上ない!デカ過ぎること山の如しです。フロントにお願いして小さめを出してもらうと、子供用の浴衣で象さんがプリントしてありました。、、、、着れません!!!

1-2.デザインがかっこ悪い!!

割と高級な旅館でも『○○旅館』という印字が布中に散りばめられています。宿内で着るとまるでユニフォームです。宿外で着れば見事な広告塔に早変わりです。その宿に泊まることをステイタスにしている人は満足かもしれませんが、好んで着るわけではありません。宿外では絶対に温泉宿の浴衣は着られません。かっこ悪いです。
私が以前在籍していた職場は社員旅行が年に一度あったのですが、親睦を図るための宴会で謎なルールがありました。

「社員旅行の宴会は浴衣で参加」
なに?その昭和なセクハラ感満載なルールは?勤務時は平成ですよ?

1-3.冷える!!

冷え症の体に温泉宿のぺらぺら浴衣は毒です。インナーをしっかり着ていないと翌朝お腹が冷えきってたまりません。帯紐1本で体に巻き付けるだけでは、どんな着付け名人でも着崩れます。折角温泉に入って温まった体が逆に寝冷えになってしまいます。

1-4.はだける!!

たとえベストマッチしたサイズの浴衣でも、帯紐一本で着ていれば普通に胸元がはだけてきます。旅館の浴衣は男性の着付け方法で着るようになっているので、凹凸の激しい女性の体形に合う筈がないのです。はだけるために着る服なぞあってたまるもんかー!エロ親父を喜ばせるために、旅館に来てるわけじゃありません。はだける浴衣しか出さないのなら、男より宿賃安くしてくんない?って思います。

2.旅館の浴衣をかわいく着る方法

困りものの旅館の浴衣ですが、いつしか自分は工夫してかわいく着るようになりました。着崩れてはだける浴衣はかわいくありません。下品です。私の母は宴会の場で女性の浴衣がはだけるのを決して許さない人だったのです。(若い子の浴衣がはだけると別室に連れ込んで着付けし直す、ある意味変な人?)

2-1.帯、小物を持参する

旅館の浴衣をかわいく着るために、私は自宅から半幅帯と着付け紐2本を持参していきます。時には伊達締めを持っていくこともあり、人に貸してあげるなどして重宝しています。胸元をきっちり締めるのに、コーリンベルトもあると良いですが、多少のファジーな感覚も残しておきたいので、金具付きの伊達締めなどを使用します。備え付けの帯も使いますが、やはり男性用なので、しっかり締まりません。帯は着付け紐の一つとして使わせてもらっています。半幅帯は大して荷物になりませんし、バッグの底で荷物の台として活躍してくれます。泊まり荷物の中に半幅帯が1本入っていても、全然苦になりません。○○旅館の印字が入った浴衣でも、お気に入りの半幅帯を締めるだけで、気分はかなり上昇します。半幅帯は備付けの帯紐の3倍近い幅があるので、長時間座っていても、背中が安定し腰が疲れません。一部の旅館ではかわいい女性用の浴衣を選べるサービスを実施しています。自分好みの浴衣を選べるのはこの上もなく嬉しいものですが、その際も着付け紐2本を用意しておくことをおすすめします。備えあれば憂い無しです。

2-2.おはしょりをしっかり作る

持参した着付け紐を使って、浴衣におはしょりをしっかり作ります。おはしょりを整えておくとサイズが合わなくても、きれいにかわいく着られます。胸元が緩んできたら、おはしょりの下部分を引っ張って乱れを防ぎましょう。おはしょりが長過ぎると背が低く見えるので、着付け紐で調整したり、帯紐に挟んでみたりしてください。

2-3.丈は短過ぎないように

浴衣の丈は両足のくるぶしまで、着物の丈は床すれすれに、と言われます。背の高い人がフリーサイズの温泉浴衣を着ると、くるぶしより上に丈が上がる場合があります。致し方ない事ですが、少々残念な着姿になってしまいます。着丈が短か過ぎると子供っぽい、やんちゃなイメージになりがちです。大人の雰囲気を出したい人はくるぶしか、もしくはその下までの着丈が必要です。

まとめ

私の母は「女が酒の席で着物が乱れているものほど、愚かでみっともない姿はない」と言っていました。着崩れた姿はかわいくもなければ、美しくもありません。乱れた浴衣姿に喜ぶのはエロ親父だけでたくさんです。着物は人のために着るのではなく、自分のために着るのですから、たとえ山深い温泉宿であっても自分なりに楽しめる物を着たいものです。荷物の中に半幅帯を1本しのばせておくだけで、凛とした美しさと茶目っ気のあるかわいらしさが旅館で表現できます。

鬼滅の刃に見る和柄、古典柄の魅力

こんにちは。着付け教室「きらら」のアシスタント、ゆうです。
今回は着物の柄のお話。
突然ですが私もご多分に漏れず鬼滅の刃大好きです!!推し柱は、派手を掌る祭りの神、宇髄天元さま。従ってアニメシリーズ第2期が待ち遠しくて仕方ありません。音柱の魅力について語らせたら10,000字でも足りません。

なので今回は、
「鬼滅の刃」に見る和柄、古典柄の魅力

鬼滅の刃が爆発的ヒットに繋がった理由は100,000字でも足りませんが、その一つに物語全体に流れる和の魅力があると思われます。
子供たちは登場人物の衣装に夢中になりグッズ発売が待てず、お母さんたちは手芸屋さんに殺到しました。求むは和柄の布地です。未だかつて無い和柄人気が到来したのでした。
物語は大正時代、日本に西洋の価値観が浸透し、和と洋が徐々に混じり合った世界です。
時代を超えて鬼を滅する者たち、鬼殺隊は和魂を持って、敵に立ち向かっていきます。
炭治郎らの着物や柄について、諸方面で語られていますが、本記事では着付け教室アシスタントで日本史学科卒で民俗学をちょっぴりかじったあわたゆうが考察を加えて参ります。以下コミックスネタばれを含みます。

炭治郎の市松模様~限りない不滅の心~

炭治郎の羽織の柄は初登場時から緑と黒の市松模様です。(鱗滝さんの所で修行しているときは波模様)

炭治郎の市松模様

市松模様の歴史は古く、日本では人型埴輪の衣類に見られ、法隆寺、正倉院にも裂(きれ)が残されています。正方形を配し交互に色を変えた市松模様は、世界的にも人々が古くから親しんできた柄でした。有職故実では石畳、霰模様と呼ばれます。
一般庶民に大人気となったのは江戸時代中期以降です。歌舞伎役者佐野川市松が紺と白の交互柄を舞台衣装にした所、大人気を博し、民衆の間にも流行しました。
市松模様は柄が途切れることなく続くため、末永く続く、永遠に途切れないという意味を持っています。

これこそ鬼滅の刃の最も重要なテーマ、不滅の心ではないですか。

お館さま、産屋敷耀哉さまは言いました。
「永遠というのは人の想いだ。人の想いこそ永遠であり不滅なんだよ」(第137話より)
炭治郎は先祖から続く人の想いを受け継ぐ者です。市松模様の羽織を着ることで、過去に生きた人の想い、不滅の心を背負っているのでしょう。炭治郎の先祖、炭吉も市松柄の着物を着ていました。
鬼のいない安らかな世を願う心、最愛の仲間たちの幸せを願う想い、それこそが永遠、不滅です。
この描写に気付いた時、私は「鬼滅の刃」の奥深さ、吾峠呼世晴先生の発信する人間愛の素晴らしさに胸が震えました。

想いは不滅、市松柄を羽織った炭治郎は初登場の時からずっと私たちにそのことを伝え続けていたのですね。

善逸の鱗柄~水神と雷の関係~

常に人気投票上位の我妻善逸、雷の呼吸の使い手ですが、壱ノ型以外の技が会得できない、女の子大好き、怖いの大嫌い、痛いの嫌と、どこをとっても極めつけのヘタレキャラです。ですが、「雷の呼吸、壱ノ型霹靂一閃は一番かっこいい型!」と、子供たちの絶大な支持を得ています。
善逸の着る羽織は、鱗柄をちょっとアレンジしたもので、散りばめた三角と鮮やかな黄色が雷を彷彿とさせます。

本来の鱗柄

本来の鱗柄は三角形が交互に並び、歌舞伎や能では水神、竜、蛇、女の執念を表すものでした。また鱗で身を護るという意味で厄除け、魔除けにも用いられます。
善逸の着物の柄が女の執念を意味するというのも言い得て妙ですが、固い鱗によって身を護る、とはいかにも善逸らしい気がします。
魔除けの柄を着せるというのは、善逸の師匠、桑島慈悟郎じいちゃんの、弟子たちに対する深い愛ですね。善逸の兄弟子、獪岳は嫌がって絶対に着なかったというのも、いかにもらしいエピソードです。

私の住む島には鬼太鼓という伝統芸能が伝わっています。起源は不明ですが、鬼太鼓の鬼はなまはげのような客人神(まれびとがみ)であり各家に角付けし、舞いにより魔を払い幸運と春を呼び込みます。

島の伝統芸能 鬼太鼓

島の鬼はよく見かける(?)虎のパンツではなく、鱗柄の衣装に脚絆をつけています。豪快に飛び、低く腰を落として舞う姿はに猗窩座少し似ています。
鱗柄の鬼は水神、海から来る精霊を表し、島の春は海がもたらすものと考えられていたのでしょう。

水神が雷に繋がるものはないか、調べてみました。
古代中国では雷鳴や落雷があると、「天が竜を取る」との言葉があるそうです。
「竜は樹々や家の中に隠れていて、雷がそれらを破壊すると竜は姿を現わし、雷を取って天に昇る」(後漢『論衡』)
普段は身を隠し、家が破壊されると雷を掴んで天に昇る、それって正に善逸ではないですか!
竜は鳴き声によって雲を呼び嵐や雷雲をもたらし、竜巻となります。
日本でも干ばつが続くと竜神に供物を捧げ、雨乞いの祈祷が執り行われました。
いずれにしても水神(竜)と雷、雷雨といった天候の間には密接な関係があると信じられていたようです。
鬼太鼓の鬼は、水神、天候の神、春を呼びこむ春雷の化身と言えるかもしれません。

魔除けのため、鱗柄を着せたじいちゃんの愛も深いですが、善逸くんの脳内がいつも春のお花畑だと思うと、納得しきりの柄選びです。

禰津子の麻の葉模様~着物に籠めた母の願い~

禰豆子は黒羽織の下に麻の葉模様の着物、ピンクの市松柄の帯を締めています。大正時代、一般庶民の女児がお太鼓を結び、帯締め、帯揚げをしている姿はちょっと時代考証的に誤りでは、と思われますが、現代っ子のイメージする着物姿とはこうした装いとなるのでしょう。
麻の葉は六角形を基本にした直線模様です。

禰豆子の麻の葉模様

日本では縄文時代の遺跡から麻の実が見つかっていますし、公家以外の衣服は麻で織られたものでした。耐久性があり通気もよいことから庶民の衣服として長く親しまれています。私も夏の襦袢には麻を愛用しています。←安いし、涼しいのです。
麻は生命力が強く、成長が早いことから麻の葉模様は子供の成長を願う柄とされています。次々に生まれ出る新葉にあやかり、子孫繁栄の意味も持っています。
日本の親は子供、特に女児の健やかな成長を願って、麻の葉模様の着物や産着を着せました。
ここで思い出すのが、炭治郎、禰豆子のお母さん、
那田蜘蛛山で窮地に陥った炭治郎。お母さんの亡霊は必死に禰豆子に語りかけます。
「禰豆子、起きて、お兄ちゃんを助けるの。今の禰豆子ならできる。ごめんね、お兄ちゃんまで死んでしまうわよ」
麻の葉の着物には母から子へ「生きてほしい!」との願いが籠っています。
禰津子が生まれた時、お母さんはその健やかな成長と共に、子孫繁栄、良い子をたくさん産む母になってほしいと願いました。家族を守る、命を守る女性になってほしい、と。襧豆子はその願いに答えうる女性に成長し、兄炭治郎を救いました。


「鬼滅の刃」最終巻で禰豆子はあーなってこーなって、母の願い通り子孫繁栄を果たすことができたようですね。
子供の着る服には母の願いが籠っています。
禰豆子は鬼になってしまいましたが、幸福に生きてほしいとのお母さんの願いをいつ何時も身に纏っているのです。

和柄大好き中国人留学生のAくん、再び登場してもらいます。
着付け教室で留学生に着物を体験してもらおうと、先生と二人で20人位浴衣を着せていました。
自分の着付けが終わるとAくんはスマホ画面を私の目の前に差し出します。(私は他の人を着付け中)
彼が見せたスマホ画面はピンクの麻の葉柄が映し出されています。彼はこの柄は何だ?と質問してきました。
彼が鬼滅の刃のファンだったのか、その辺りは確認していません。
別の男子学生の帯を締めあげながら、私は、
これは麻だ。麻の葉模様だ、でも私、今取り込み中、頭が回んない、、、思わず近くで着付けしていた先生にヘルプです。
「先生、このスマホの柄は何か?って質問されました!」
先生も男子学生の帯を締めあげ中、声だけヘルプをくれました。
「麻よ、麻の葉!子供の成長を祈る柄よ」
そうですよね、そう、、、判ってはいるんだ。えーと麻の英名は、、、、、、確かそうHempだ。この間楽天で買った麻紐のブレスレットは、ヘンプアクセサリーって書いてあったもん。
よし!!
「Hemp!hemp’s leaf.」
納得してくれたAくん、そこへ先生の一声が飛び込みます。
「子供の成長を祈る柄って言いなさーい!!」
え?それちょっと私にはハードル高いです、先生!私、着付けの勉強はしてますけど、英語の勉強は中学で止まってます。
Aくんの周りに集まってくる男子学生諸君、逃げも隠れもできません。(着付け中だってばよ!)
「えっと、えー、That’s meaning of 、、、、grow up!for child.」
(子供がおっきくなる的なジェスチャー付き)
もうやけくそ、、、ですが彼らの反応は
「so good!」
「好好!」
だったので多分伝わったのだと思います。
親が子に着せる着物に願いを籠める、きっと彼らの国でも同じような風習が継承されていることでしょう。

鬼滅の刃に登場する着物や柄は一部を除いて、当時の庶民が普通に身に着けていたものです。現代ではその慣れ親しんだ美しさに注目が集まり、和柄の魅力が子供たちに引き継がれています。古くからあるものを大切にして、次代に継承していく、それもまた永遠に途切れない、不滅の想い。
着物も和心も継承していく、それがこのサイトのメインテーマです。

(よし、繋がった!!)

それでも桜咲く!入学式に着る着物

着付け教室「きらら」のアシスタントゆうです。
コロナウィルスによる脅威、緊急事態宣言が発令されています。3月21日以降緊急事態宣言は解除になるようですが、新年度4月からの状態がどのようなものかまだまだ予測のつかない現状です。
4月の入学式は各地域、各学校により判断基準が分かれ、自分の地域がどのような形態で挙行されるのか、されないのか現時点では全く判りません。同地域でも各学校により入学式の扱いは異なる為、「隣の学校は保護者出席ありなのに、こちらの学校では出席できない」と
いた現象が起きています。
1日も早くはっきりさせてほしい、が保護者の本音と思われます。世界中がコロナに翻弄され一年以上が過ぎました。
今年の入学式、何着よう?保護者出席ありかしら?そもそも入学式あるの?とやきもきしている保護者の方も多いと思われます。

だからこそおすすめします。着物で撮る写真入学式!

自分で着る着物であれば、入学式の形態がどのようなものであれ、自分と子供さんの都合の良い日を選んで写真館に予約ができます。既に子供の制服は用意ができているはずですから、お父さんや兄弟児を誘って家庭内入学式の出来上がりです。
わが家は子供の成長の節目ごとに写真館で記念写真を撮っています。仕事の都合で入学式のあと写真館に行けないときは、後日着物を着て写真を撮ってもらいました。自分が着物を着る人間でなければそんな面倒なことはしていないと思います。
入学式は子供が新しい世界に飛び立つ記念の日、晴れがましい装いで送り出したいものです。

1.入学式に着る着物

入学式に着る着物は礼装です。礼装と言えば付下げ、色無地など挙げられますが、一番のおすすめは訪問着です。入学式は卒業式と違い、春の暖かい陽光の下、華やかに晴れやかに開催される行事です。春物スーツで出席するように、明るい色目の訪問着、できれば花柄や吉祥柄を選んで出席したいですね。

入学式に着る着物 

訪問着>付下げ>色無地(明るい色)※>はおすすめ度もしくは格順
袋帯→二重太鼓、できれば金糸入り
帯締め→平組
帯揚げ→礼装用でなくてもOK

入学式の装いは淡色の明るい訪問着に袋帯で二重太鼓、平組の帯締めで臨んで下さい。淡色の付下げや一つ紋の入った色無地も素敵です。
訪問着ってどんな着物だっけ?と思ったらば、こちらへどうぞ。

2.入学式のルールとNG

入学式に和服を着る場合、小紋、名古屋帯、お太鼓柄の袋帯、帯留はNGです。
豪華な小紋であれば許容範囲という意見もありますが格のルールは守るに越したことはありません。
着物には格のルールがあります。
格の高い着物には格の高い帯を合わせます。入学式は冠婚葬祭ですから、格の高い着物と同等もしくはそれ以上格の高い帯で参列します。格違いをすると恥ずかしい思いをしますよ。

小紋はお洒落着、普段着です。小紋を着る場合、締める帯も名古屋帯が基本なので、冠婚葬祭では不向きです。卒業式とは反対に入学式は華やかさが求められますから、誰もが一番気に入っている着物を着たいのが人情です。最近では華やかさゆえに淡色、花柄の小紋で入学式に参加する保護者が見られますが、格式で言えばNGです。小紋は着物全体に柄が散りばめてあるので、視線がうようよしがちです。訪問着は豪華な柄付きですが、柄は上から下への続き柄なので、落着いた印象になります。

名古屋帯はお洒落着であり礼装用ではないので、基本的にNGです。吉祥柄であれば名古屋帯もありとの意見もありますが、袋帯の二重太鼓には「良いことが重ねがさね」という意味があるのでやはりここは袋帯が良いと思います。お太鼓柄の袋帯はお洒落着なので小紋に合わせる場合は問題ありませんが、冠婚葬祭の装いにはなり得ません。

<見れば一目瞭然、礼装用袋帯とお太鼓柄袋帯>

礼装用袋帯
お太鼓柄袋帯

豪華めに見える花柄の小紋に金糸の袋帯を合わせて、入学式に使えるかコーデしてみましたが、やはり帯が浮いた感じがしました。

これは無いだろ、というのが帯留めを使用している場合です。現在の帯留めは純然たるアクセサリーで冠婚葬祭では用いません。幕末から花柳界で流行し西欧のブローチを模して作られた、と謂います。
確かに帯留めは楽しい!私もイベントで購入したものや自作したものなど、いくつかコレクションしています。思い出深い品ばかりで人に見せたい、気持ちは確かに判ります。でも、、、使えないのよ、入学式では!なぜ?どうして?結構高かったのに?ここまで読んだ方はわかりますよね?
帯留はお洒落具だからなのー!!
冠婚葬祭で帯留は使えないのー!!
でもたまーにいます。素敵な訪問着に帯留して式に出ている人。帯留を使う場合、紐を通す為に細い帯締め、三分紐を締めなくてはなりません。三分紐は細過ぎて礼装用の重い帯を固定するには無理があります。入学式の帯留は格の違いと実用性、二方向からNGとなってしまいます。礼装用の帯と同格の帯留もあり得ませんしね。帯留は遊び感覚の強い装身具ですから、私は着付けのお稽古ですら身につけてはいません。教えを乞う先生に失礼にあたるのでは、と考えるからです。その分プライベートで出かける時は気に入った物、季節や目的に合った帯留を着けて悦に至ります。(( ̄― ̄)ニヤリ

3.悪天候、入学式の強者

私の住む地域、入学式の時期は天気が悪いことが多く、予定が近くなると天気予報を見ては、やきもきします。着物の場合、雨コートや雨草履も用意しなくてはなりません。ほんの少しの水分でも着物には天敵です。私は車を運転して学校へ行くので草履着用は校内のみ、校外や運転中はサンダルやペタン靴で、と割り切って防水に徹しました。
その年の入学式は数日前から天気が悪く、学校の敷地は目一杯ぬかるんでいました。なるべく外を歩かずにすむように、体育館に最も近い位置に車を停めます。着物の裾をからげて帯に挟み、紐で縛ってその上から雨コートを羽織り、体育館のトイレで個室に籠って裾をバサバサ戻していました。
うちの子の学年は比較的着物好きが多く、毎回同じメンバーが和服で参加していました。田舎ですから入卒式はほとんど面子が変わりません。いつしかお着物クラブみたいなグループが出来上がっていました。(笑)みんな仲良く会場で写真を撮ったり、着物にまつわる意見交換をしたりしています。
中には4人兄弟を育てあげ全ての入卒式を着物で完遂した、強者ママさんがいました。私たちはその方を着物番長と呼んで、ご尊敬申し上げています。
その日の着物番長さま、ちょっと遅めの会場入りでした。我らお着物クラブの面々を見つけると彼女は開口一番、
「聞いてちょうだい!あたし今日軽トラなの!!」
「「「「「ええー???マジでー???」」」」」
着物で運転することさえ嫌がる人が多いのに、軽トラで、訪問着で、入学式ってすご過ぎでしょ。軽トラックのステップの高さ、知る人しか知りませんが、よじのぼる位高いんですよ!(イメージ的に)一体どんな体勢で降車したのか、皆目わかりません。
しかもぬかるんだ学校内のグランドを横切って、彼女は入学式会場に颯爽と現れたのでした。自分の車を旦那が乗っていった!と憤慨していましたが、着ていたお着物には水染み一つありません。悪天候時の着物の所作に慣れてらっしゃるのだと思います。
すごい、すごいよ番長!あなたこそ着物の強者!

悪条件でも臆さずに着物を着る、それこそが着物番長、和服の強者です。

プロフィール

初めまして。

ゆうです。佐渡島の着付け教室『きらら教室』で助手をしています。

子供の頃から親が転勤族で、生まれは東京、育ちは広島、その他にもいくつか居住地が変わりました。

結婚して本籍登録したのは東京都江東区です。

東京都中央区の団体職員として、一人娘を育てながら絶賛共働き中の所、夫から職場に突然の電話です。

「俺、転勤になったから」

「え?どこへ?」

「佐渡島」

「ハイッ??」

佐渡島は夫の生まれ故郷です。

私は結婚するまで佐渡がどこにあるのかさえ知りませんでした。(普通知っているもの?)

姑が一人で暮らしているので亭主は大喜び、当時4歳の娘はマックが無いので困惑、私はもちろん大迷惑。

マック無い、映画館無い、ファミレス無い、東京並みの給料くれる会社なんかどこ探しても無い!無い無い尽くしで始まった島暮らしです。

腹をくくるには1年半位かかりました。(ノイローゼ気味だったとも?)

次第にママ友も出来て、趣味の史跡巡りをしたり、郷土史の文献を読んだり、と気づけば島で暮らして10年以上経ちます。

佐渡島に来てから始めたことが「着物の着付け」です。

私の母が着物の仕立て屋をしていたので、家には大量の着物がありました。

この着物、生かさない理由は無い!と思ったのが着付けを始めたきっかけです。

佐渡市梅津に、島でただ一つだけの着付け教室があります。ネットで探してメールを送って以来、きらら教室の先生は私にとって人生の師と言えるお方となりました。

ですが、この私

生来のめんどくさがりと貧乏性のため、長い教室通いでたくさんのお得な着物術を覚えてしまいます。

着物はお金がかかる、は間違いです。

私はバブル真っ只中をOLとして生きていた人間なので、当時の金銭感覚が日本中でとち狂っていたことをよく知っています。

長い間着物は販売店の利益追求の為、本来の価値とは違った値をつけられていたと断言できます。

もちろん、着物は古来より伝統技術の粋を集めて作られており、それぞれの職人さんは一命を賭して技術を継承しておられます。

そんな伝統職人の一人であるはずの私の母が爪に火を灯すような暮らしをしながら、一枚一枚着物を縫っていたのはなぜでしょうか?

伝統技術者が生活に困窮し、後継者が望めない、それがバブル期以前からこの国の民族衣装をめぐる重大な問題でした。

着物業界は長い年月、この価格の問題を先送りにしてきた為、着物は天井知らずに高価なものとなっていきました。

着物離れという言葉が聞かれるようになって1世紀が経とうとしています。

そうした危機的状況の中、各地の観光地では「レンタル着物」「着付けレンタル」のお店が賑わうようになり、古都と呼ばれる場所で着物姿の男女を見かけるようになりました。

私は小学生の頃から歴史好きで大学でも日本史、古代史を専攻していました。民俗学の講義で服飾史を選択していたこともあります。

だからこそ、知っています。

着物こそ、日本人が着るべき衣裳なのだ、と

ほんの100年前まで日本人は誰もが着物を着ていたのです。

裕福な人だけが着物を着ていたわけではありません。

お得に着物を着る方法はあります!

佐渡着付け教室「きらら教室」の横着アシスタントゆうがこっそりお伝えしていきます。

ペンネーム粟田裕の名で歴史小説を出版しています。

『安宿王、流罪ノ記』

奈良時代に佐渡に流された皇族の物語で、島暮らしの中から着想しました。

このブログでも島の歴史について語っていきますので、興味ある方はどうぞお目に留めて下さいませ。