初めまして。
ゆうです。佐渡島の着付け教室『きらら教室』で助手をしています。
子供の頃から親が転勤族で、生まれは東京、育ちは広島、その他にもいくつか居住地が変わりました。
結婚して本籍登録したのは東京都江東区です。
東京都中央区の団体職員として、一人娘を育てながら絶賛共働き中の所、夫から職場に突然の電話です。
「俺、転勤になったから」
「え?どこへ?」
「佐渡島」
「ハイッ??」
佐渡島は夫の生まれ故郷です。
私は結婚するまで佐渡がどこにあるのかさえ知りませんでした。(普通知っているもの?)
姑が一人で暮らしているので亭主は大喜び、当時4歳の娘はマックが無いので困惑、私はもちろん大迷惑。
マック無い、映画館無い、ファミレス無い、東京並みの給料くれる会社なんかどこ探しても無い!無い無い尽くしで始まった島暮らしです。
腹をくくるには1年半位かかりました。(ノイローゼ気味だったとも?)
次第にママ友も出来て、趣味の史跡巡りをしたり、郷土史の文献を読んだり、と気づけば島で暮らして10年以上経ちます。
佐渡島に来てから始めたことが「着物の着付け」です。
私の母が着物の仕立て屋をしていたので、家には大量の着物がありました。
この着物、生かさない理由は無い!と思ったのが着付けを始めたきっかけです。
佐渡市梅津に、島でただ一つだけの着付け教室があります。ネットで探してメールを送って以来、きらら教室の先生は私にとって人生の師と言えるお方となりました。
ですが、この私
生来のめんどくさがりと貧乏性のため、長い教室通いでたくさんのお得な着物術を覚えてしまいます。
着物はお金がかかる、は間違いです。
私はバブル真っ只中をOLとして生きていた人間なので、当時の金銭感覚が日本中でとち狂っていたことをよく知っています。
長い間着物は販売店の利益追求の為、本来の価値とは違った値をつけられていたと断言できます。
もちろん、着物は古来より伝統技術の粋を集めて作られており、それぞれの職人さんは一命を賭して技術を継承しておられます。
そんな伝統職人の一人であるはずの私の母が爪に火を灯すような暮らしをしながら、一枚一枚着物を縫っていたのはなぜでしょうか?
伝統技術者が生活に困窮し、後継者が望めない、それがバブル期以前からこの国の民族衣装をめぐる重大な問題でした。
着物業界は長い年月、この価格の問題を先送りにしてきた為、着物は天井知らずに高価なものとなっていきました。
着物離れという言葉が聞かれるようになって1世紀が経とうとしています。
そうした危機的状況の中、各地の観光地では「レンタル着物」「着付けレンタル」のお店が賑わうようになり、古都と呼ばれる場所で着物姿の男女を見かけるようになりました。
私は小学生の頃から歴史好きで大学でも日本史、古代史を専攻していました。民俗学の講義で服飾史を選択していたこともあります。
だからこそ、知っています。
着物こそ、日本人が着るべき衣裳なのだ、と
ほんの100年前まで日本人は誰もが着物を着ていたのです。
裕福な人だけが着物を着ていたわけではありません。
お得に着物を着る方法はあります!
佐渡着付け教室「きらら教室」の横着アシスタントゆうがこっそりお伝えしていきます。
ペンネーム粟田裕の名で歴史小説を出版しています。
奈良時代に佐渡に流された皇族の物語で、島暮らしの中から着想しました。
このブログでも島の歴史について語っていきますので、興味ある方はどうぞお目に留めて下さいませ。
